2024.11.26 23:45越中瀬戸焼?の鯱瓦立山町の越中瀬戸焼の里、下瀬戸。ここにかつてあった三十番神堂。残っている基壇のところには、鯱瓦の一部が残されています。高さ37㎝で、復元全長は50㎝強?。褐色の焼き上がりです。三十番神堂の屋根に置かれたものと思いますが、そうでしょうか?能登から来た鬼師が越中瀬戸焼で作ったもの、越...
2024.11.22 23:30旧立山道の道標石仏と旧道 2先に紹介した段丘崖を下りた旧立山道は、末谷口集落内を西に進みます。集落中ほどで旧道は南に分岐し、そこに道標石仏が置かれています。舟形石仏で、本尊は如意輪観音様です。光背には文政11年(1828)の年号と、「左立山道」と彫られています。八川石製で、石工は不明です。左に該当する道は、...
2024.11.22 04:34富山県立図書館で城の図書展示富山県立図書館では、北陸の城郭をテーマとした図書の展示が開催されています。富山城についても多くの展示がありました。拙著『富山城の縄張と城下町の構造』(桂書房)はガラスケースに入り、北陸四県を巡回されるそうです。恥ずかしいですが、ありがとうございます!うれしい限りです。このほか私が...
2024.11.04 23:00立山道の道標石仏と古道立山町の上段段丘の西端を南行する立山道は、谷口集落から段丘下の末谷口集落に向けて下っていきます。この辺りの道沿いには、「立山道」と彫った石仏が計5体があり、うち4体を確認してきました。坂を下る道は、江戸時代から続く古道で、堀切状の坂道がとても良く残されています。坂の途中にある石仏...
2024.11.04 12:50立山町栃津道標を修理10月3日に掲載した石製道標について、修理してきました。接着剤をつけ、佐藤武彦さんの協力を得て、復元しました。見事完成したときに、栃津集落の方が通りがかられ、先にお渡しした調査結果をみて、賛同していただいておりました。以前は除雪で倒れたらしい。同じことが起こらないよう何とかしたい...
2024.10.18 23:00六角堂の地蔵堂六角堂の形の地蔵堂が滑川市にもあるとの情報をいただき、みてきました。北陸新幹線のすぐ脇に、コンクリートのお堂がありました。屋根の先端だけが瓦になったお堂で、中に地蔵菩薩立像の石仏が安置されていました。時代などは不明です。堂の床下の真ん中には、早月川花崗岩の柱状の加工石がありました...
2024.10.17 23:00六角堂の屋根前の記事にある子安地蔵の六角堂。てっぺんには露盤宝珠という特別な瓦が乗っています。屋根の形にあわせ六角形です。上の宝珠は破損して取り替えられましたが、露盤は当初のままのものが残っています。正面側には2人の人物が浮彫されています。左は飛天でしょうか。めでたい文様ですね。見えないほう...
2024.10.16 23:00立山町の子安地蔵雄山高校近くに、写真のような木造六角堂があります。中には、子供を抱いた地蔵菩薩様がおられます。いわゆる子安地蔵ですね。石工は森井竹次郎で、初見です。森井といえば立山町西大森の石工ですが、調べてみるとどうも立山町下段の方のようです。六角堂の形は当地域では珍しいものです。これは近くの...
2024.10.16 00:44滑川市大島新の道しるべ道標つながりで。滑川市の南部、大島新の交差点付近に地蔵堂があります。片足を振り下げた地蔵菩薩様の丸彫石仏です。四角い台座は割れていましたが、左側面に「右大岩」と刻まれています。ここから大岩までは南に直線で10㎞あまりですが、旧道にしたがっていくと、ちょうど12㎞、3里の距離にあり...
2024.10.11 11:10富山城の現在久しぶりに富山城へ足を運びました。能登地震から9か月がたち、堀跡が陥没して傾いたトイレ周辺の工事が始まり、枡形通路も通行止めが解除され、石垣手前にバリケ―ドがされていました。解体修理した巨石周辺は、「せり出した」と聞いていましたが、よく見るとほとんど変化はありませんでした。たぶん...
2024.10.08 23:15日本石造文化事典 刊行されましたこのたび、朝倉書店から『日本石造文化事典』が刊行されました。石工項のうち、「越中石工(富山県)」を分担執筆しました。29700円とたいへん高価なものですが、ご関心のある方お買い求めください。