常願寺川石工とは?
これまで「常願寺川石工」ということばをたびたび使ってきました。前回「富山町石工」の説明に基づけば、町石工ではなく在郷(ざいごう)石工に含まれる石工たちになります。
常願寺川石工は、私の造語です。そのような団体があったわけではなく、一つのまとまりと思ってください。どういうまとまりかというと、キーとなっている「常願寺川」の両岸に存在する村の石工のことです。
それと、常願寺川から産出する石材のうち、火山岩である安山岩(あんざんがん)を用いるということも加えておきます。
石材は山にあるところから「切り出す」というイメージが強いですが、常願寺川には山から転がってきた玉石がごろごろしており、洪水が起こるたびに上流から供給されるので、まさに無尽蔵(むじじんぞう)に採石できる場所なのです。川原から運べばいいだけですから。
このような便利さから、中世から常願寺川の安山岩が多く使われたのです。
写真は中流での川原のようす。灰色の石が安山岩です。当時砂防ダムはなかったので、もっと大きな石が流れてきていました。
図は、石工のいた村の場所です。明治以降は少し広がったようです。
江戸時代には53人がおり、馬瀬口村中川甚右衛門、善名村北野甚蔵、中嶋栄蔵、石屋村牧喜右衛門が名工として挙げられます。明治以降には79人がおり、西番村金山菊次郎、善名村西田弥之助が多くを製作しました。
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