石工は知識人

石工は職人ですから、石造物を作る腕を磨くことに専念する頑固な親方のイメージですよね。しかし、以前例えたように、芸術家としての側面を持っており、品物ではなく、名を残す「作品」として意識していたようです。

そういった気質は、ある石工に詩を詠ませるといった行為をさせました。

笠付円盤形石仏で紹介した、善名村石工北野甚蔵は、石仏の裏にこのように詩を刻みました。

 「細工を詩とス かたはさきに とどかんことの はずかしさよ」

細工とは、石仏などを彫ることです。「かた」というのは手本という意味で、先人の名石工や親方のことなのでしょう。そこまでの技量がまだ自分にはなく、恥ずかしい、と嘆いている詩です。七五調で、その嘆きが伝わってきます。とはいえ、甚蔵がこの詩を刻んだ石仏(庚申像の笠付円盤形 嘉永5年(1852))の出来は、とても素晴らしい作品です。嘆くほどの欠点がどこにあるのか、私にはわかりません。自分に対して厳しかった人なのですね。

このように石工甚蔵は、詩を作れる知識人・風流人だったのです。

このほか、村の百姓総代を勤めた石工もいました。


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