石工の銘を考える その2
石工の銘は、江戸時代から現代まで大きく変わっていません。
工房のある場所、石工呼称、名前の順で入れます。
たとえば、すでに登場した石工では、
富城住人 大石工 佐伯伝右衛門
馬瀬口村 石工 甚右衛門
などの表記をします。「富城」とは富山城下=富山町という意味です。
石の細工をする職人は、「石工」と表記し、「いしく」や「せっこう」と呼ぶことが多いですが、「石匠」「大石工」「石巧」「作者」と書くこともありました。自分の思い・立場で使い分ける気持ちがあったようです。
さて、このように石造物に石工銘が残っていることで、石工の所在地(石工村)や人数を知ることができます。
江戸時代では、富山町石工15人、常願寺川両岸の石工53人、石工村17村がおりました。
明治以降戦前まで、富山市石工110人、常願寺川両岸の石工79人がおりました(2020年8月現在)。ずいぶんと多いですね。ただ、数体のみという石工がほとんどなので、たくさん受注した石工というのは、ほんの一握りなのでした。
職人の世界は厳しいですね。
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