石工の銘を考える その1
石工が銘(めい 名前)を残すのは、中世以前中世以前から知られていますが、富山ではいませんでした(いたらごめんなさい、勉強不足です)。
昔から、寺院など特殊な建築では棟札(むなふだ)といって建築関係者や職人の名を書いたものを残す、仏師は仏様の裏に銘を残す、などしますので、石工が銘を残すというのは、それと似たようなことなのでしょう。
江戸中期以降、富山町石工では伝右衛門、常願寺川石工では馬瀬口村甚右衛門が、銘を入れたさきがけの石工です。
なぜその頃から?ということになりますが、いずれもお寺の燈籠や石塔からであり、そこでこれまでにない目を引く素晴らしいものを作れば、それを目にした他のお寺様から注文を受けることができますね。実際その後需要は高まりました。そういった商売繁盛目的があったことは間違いないと思いますが、それだけではないと思います。
石工銘を入れることは、その石工が親方に認められて一人前になったことの証であり、またその石造物が自他認める完成度の高い「芸術品」であることをアピールしているのだと思います。画家屋や彫刻家といった芸術作家と似ていますね。
なぜそこまで言うかというと、驚くことに、個人の墓石にまで石工銘を入れているからです。普通考えられませんよね。招魂たくましい、というより、墓石ですら彼らにとっては芸術品なのです。
富山町石工・常願寺川石工のほか、金屋石を使う砺波・井波の石工も銘を多く入れます。全く入れないところも多いので、地域性なのでしょう。金沢も少ないほうです。
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