富山船橋の常夜灯

常夜灯つながりです。

富山城址公園の西徒歩3分の松川沿いには、舟橋常夜灯と呼ばれる石燈籠があります。

燈籠が面する松川は、今幅が20mにすぎませんが、かつてはここに幅200mもの大河神通川が流れていました。この燈籠のあった場所は、江戸時代には川を渡るための船橋(小舟をつないで板を架けて橋としたもの)があり、日本三大船橋の一つ「富山船橋」としてとても有名だったのです。

この燈籠は、その船橋のあった右岸(南詰  富山市七軒町)に置かれました。寛政11年(1799)造立で、竿に「常夜灯」の文字と、「両宮伊勢太神宮」と彫られ、当時流行したお伊勢参り(伊勢参宮)のため人々が通る道しるべであったことを思わせます。

さて、対岸にはもう1基、同型の常夜灯が置かれ、それは現在でも存在します。それはここから230m北の舟橋北町です。この竿には「金毘羅大権現」とあり、讃岐の金毘羅参り茂人気でした。

いずれも兵庫県六甲産のいわゆる御影石です。当時は高級ブランド石でした。

燈籠は、左岸側の旧手伝町の町年寄内山権左衛門逸経が寄進したと伝えます。寄進の4年前に神通川大洪水では船橋に甚大な被害があり、権左衛門はその修理に貢献した人物です。

実際に歩いてみると、川跡部分の道路は少し低くなっており、結構な距離です。神通川はでかかった。ちなみに、揺れる船橋を渡るのは命がけだったといいます。

富山石文化研究所ブログ

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