江戸の名彫師 井亀泉の石碑
富山の石工について調べています。
富山藩祈願所であった於保多(おほた)神社(天満宮)の境内に多くの石碑がありますが、そのうちの一つに、明治19年(1886)に建てられた岡田呉陽顕彰碑があります。
呉陽は富山藩校広徳館や明治期には富山師範学校で教鞭をとりました。
この石碑は、稲井石(仙台石)ですが、富山の石工がこの石を使うようになるのは明治40年前後からなので、おかしいと思ってよくよく見ますと、「井亀泉」という石工の名前がありました。
調べると、井亀泉(せいせきせん)は江戸の三大名石匠の一人で、明治政府関係の石碑の銘文を彫るのに長けた石工さんで、御碑銘彫刻師と呼ばれているそうです。
よくよくみますと、文章を作成した人は政府修史局の藤野正啓(まさひら)、文を書いた人は、日本近代書道の父と呼ばれる日下部東作でした。日下部+井亀泉の最強タッグは他県にもあり、その筋では有名となっています。
富山のこの石碑も、もっと注目されていい優品なのです。学業成就祈願のついでにぜひご覧ください。
私はこの石碑が江戸で作られて富山に運んでこられた、ということに最大の関心があるだけですが・・・
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