小さな矢穴
富山城石垣の矢穴は、概ね幅10センチですが、まれに5,6センチの小さいものがあります。
これは矢穴の大きさのバラエティではなく、年代が異なるものです。
明治に入ると、城郭石垣が更新されなくなり、民家石垣が作られます。その際積まれる石の大きさも小さくなり、50センチくらいの石をそのまま使うか(玉石積)、半分に割って使う(割玉石積)ことが多くなります。また、間知石(けんちいし)といって台形状の小型の割石を積む石垣が増えます。
石が小さくなることによって、割る範囲も小さくなることから、矢穴も小さくて済むわけです。
このような小さな矢穴を「豆矢(まめや)」と呼んでいます。
富山城では豆矢の見られる石は、明治以降補修された石垣天端石(割玉石)にみられます。
豆矢
江戸時代の矢穴
豆矢の正面と側面(中村石材工業さん所有)
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