石はどこから?⑯ 雨晴海岸

高岡市北西部の雨晴(あまはらし)海岸には、源義経が雨宿りしたと伝える義経岩(義経雨晴しの岩、雨晴岩)があり、雨晴の由来となっています。

義経岩の北東には女岩(めいわ)が屹立し、背景の立山連峰や冬の名物「けあらし」の撮影名所で知られたところです。

義経岩周辺はこのように岩盤地帯となっており、富山では珍しい地形です。

この岩盤は、海底の砂が固まった砂岩(さがん)で、貝や骨が多く含まれて石灰化したものです。周辺地名から、「岩崎石」「太田石」と呼ばれています。

ここは古くからの石切場で、板状の石が簡単に入手できることから、5世紀の古墳時代頃から古墳の石室の用材として富山方面にも運ばれました。

一番活発だったのは、江戸時代初期、富山城や高岡城の石垣石材として、大量に切り出されました。その残骸が、義経岩なのです。

高岡城や富山城への運搬は、おそらく舟を使い、海路から河川を経由して城近くまで運んだものでしょう。高岡城築城時には、能登各地から舟や水主(かこ 舟の操縦者)が参加させられたという記録があります。

明治40年~大正7年発行の絵葉書「越中義経雨晴シ」

女岩

女岩(手前)と雨晴海岸

富山石文化研究所ブログ

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