常願寺川石工中川甚右衛門の代表作 その1
馬瀬口村石工中川甚右衛門は、常願寺川石工の伝統を築いた、フロンティア精神にあふれた石工です。
これまでいくつかご紹介しましたが、代表作を2つほど紹介します。今回はその1。
11月21日に紹介させていただいたように、大岩山日石寺様では100体以上のやぐらの石仏を、甚右衛門と上市石工平井庄右衛門が分担して製作しました。このときの日石寺は11世の如龍ご住職でした。
この如龍ご住職代の文政4年(1821)に、甚右衛門は境内の宝篋印塔の製作を請け負いました。境内入口のめぐすりの木のお茶をいただく場所がありますが、そのすぐ後ろに建っています。
高さ4.6mもあり、甚右衛門単独で製作した宝篋印塔としては最大のものです。
以前ご紹介した宝篋印塔の特徴を備えているもので、上のほうの軸という四角い石の1面には、丸い穴が開いています。このような形は他にありません。見えないですが、この穴の中は空っぽです。想像するに、この穴にはおそらく小さな石仏、大日如来様が置かれていたのではないか。
経典ではこの石塔の中心に大日如来様がおられることになっておりますが、外面をながめてもそのことはわかりません。それで像として参詣者に見せる、という形をとったのかと考えます。如龍ご住職、あるいは甚右衛門の企画のいずれはかわかりませんが、ユニークなアイデアですね。
この石塔は、富山市太田の加賀藩山廻役浮田氏が中心となって、太田本江や西番の有力者が寄進したものです。基壇の刻銘には、この石塔を建てるにあたり、太田本江村、西番村、大岩村から100人づつ人足が出て、常願寺川で石を集めて運んだとあります。相当な手間がかかっていたのですね。こうして立派な宝篋印塔が出来上がり、今に伝わっているのです。
大岩山日石寺の宝篋印塔 文政4年甚右衛門作
軸2の穴 今は空っぽです。
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