立山山麓の近世石造物【栄蔵】その3

同じ善名村石工 甚蔵・栄蔵はコンビを組むことがよくありました。

甚蔵が先に石工銘が見えるので、親方または兄弟子ということになります。

芦峅寺デビューの栄蔵の仏様のお顔は、甚蔵とそっくりで、刻銘などがなければ見分けがつきません。

栄蔵は、当初甚蔵を模倣する(手習い)という形から入ったといえます。

これは甚蔵

これは栄蔵。

栄蔵は活動を続けるうちに、仏様のお顔はだんだんと軟らかい表情に変わっていきました。

晩年には、エラが張り、笑顔の表情になります。石工の作風も日々変化していったのですね。

栄蔵最後の作 明治19年八尾町掛畑の如意輪観音様

富山石文化研究所ブログ

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