立山山麓の近世石造物【甚蔵】その6
女人救済をうたった立山信仰は、江戸城大奥の女中たちの間にも広がりました。
その詳しい内容は、立山信仰に詳しい北陸大学 福江充先生の著書『江戸城大奥と立山信仰』(法蔵館2011)をごらんください。ここでも触れておられますが、芦峅寺墓地にある甚蔵作の舟形地蔵様には、台座に「西御丸」と大きく彫ってあります。
江戸城西之丸付きの大奥女中「八重嶋」は、13代将軍家定の上臈御年寄をつとめていました。晩年病床について、地獄極楽・女人救済の立山信仰に帰依し、寄進したのがこの石仏です。
残念ながら完成した時には、八重嶋はなくなっておりました。きっと浄土へ行かれたのでしょう。
江戸城大奥女中八重嶋が寄進した石仏 嘉永5年(1852)
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