立山山麓の近世石造物【栄蔵】
善名村の中嶋栄蔵は、同じ村の北野甚蔵よりやや遅れた嘉永年間から活動を開始し、芦峅寺が最初の製作地となりました。
石仏を得意とし、笠付円盤形石仏や丸彫石仏形墓石(⇒2020年9月26日珍しいご住職の墓石)に力量を発揮しました。
北野甚蔵との共作や分担が多く、師弟または兄弟弟子だったと思われます。
嘉永5年(1852)江戸城大奥女中八重嶋が寄進した石仏(⇒2020年12月20日立山山麓の近世石造物【甚蔵】その6)は、甚蔵作でしたが、福江充氏の調査で、もう1体あることがわかりました。両者はとてもよく似ていますが、栄蔵の作と推定されます。
婦中町各願寺ご住職墓(安政3年)栄蔵作
もう一体の八重嶋寄進石仏 栄蔵作。草に埋もれ、今は見えにくいです。
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