石工の名前から
これまで石工村や石工個人を紹介してまいりました。まだまだ続くのですが、石工名についてちょっと思ったことを書きます。
江戸時代・明治以降を通じ、石工の名前を見ると、「〇次郎」というのが多く見えます。
ほかに「〇三郎」「〇四郎」もあります。これはごく少ないのですが、「〇太郎」はこれに輪をかけて少ないですね。
名前から見て、おそらく農家などの次男坊、三男坊なのでしょう。本家を継げない立場であり、食い扶持を減らすため、手に職をつけさせるため、石工に修業(奉公)させたのではないかと思います。
紹介した森井弥太郎・弥次郎の兄弟で石工となり、兄は在所、弟はよそへといったケースは珍しいのかもしれません。
けっこうしんどい5K職場であるため、長続きをして棟梁に認められて独り立ちする人は少なかったのかもしれませんが、石工銘を入れない墓石は無数にあることから、多くの石工が石工業で生計が成り立っていたことは間違いありません。
かつて農業のかたわら、農閑期に片手間に作っていたという石工像を示した人がいましたが、そうではなく、親方・弟子といったきちんとした見習い修業システムがあったことがわかってきています。
常願寺川石工の場合、新しい需要に対応しながら、出張製作などを足掛かりに、フロンティア精神で販路を拡大していったのです。国境を越えてまで。
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