飛騨に進出した越中富山石工 その1

前に、江戸時代に常願寺川石工が神通峡や飛騨に出張製作をした話をさせていただきました。

明治にはいってもその流れは続いていたのです。

前回ご紹介した常願寺川石工 中滝村大浦辰次郎。本人は飛騨へ進出していませんが、名前が書かれなかった息子と思われる、「大浦文知」の石工銘の鳥居が、飛騨市宮川町打保の白山神社にあります。

昭和13年(1938)奉納の明神鳥居で、「石工 面手勇蔵/大浦文知」とだけあり、富山の石工とわかるものはありません。面手は「おもて」で、富山にも多い姓です。大浦姓は辰次郎のみで、年代的に文知は辰次郎の息子世代です。鳥居に使われている石は西日本産花崗岩で、飛騨の石工は使いません。

以上のことから、この石工2人は富山の石工と推定しておきます。二人とも富山に銘がないのが不思議ですね。

(その後立山町目桑というところにある昭和15年の狛犬に、大浦文知の石工銘がありましたので、訂正します)

飛騨市宮川町打保白山神社鳥居 昭和13年

石工銘の拓本です。

昭和15年立山町目桑の狛犬 大浦文知作

富山石文化研究所ブログ

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