飛騨探訪 その3
今回案内いただいた、都竹清隆氏は、神岡町殿の圓城寺のご住職様です。以前神岡町役場にお勤めで、『神岡町史』の編纂も手掛けられ、今は中世史、特に城や江馬氏川上氏の研究をされておられます。お仲間と飛騨中世史の会を立ち上げられ、『飛騨の中世』を10号まで発刊されました。
都竹氏のお寺の入口には、私が重要と考える写真の石仏が置かれています。付近から移設されたということですが、お寺をお訪ねしたときは、びっくりしました。
富山の常願寺川石工が多く製作した「笠付円盤形石仏」にとてもよく似ているのです。
常願寺川石工の直接的な足跡は、今のところ県境に近い横山までなのですが、この神岡町までの間に、点々とそれらしき怪しげな?石仏があり、この圓城寺の石仏が最終地点、すなわち最も遠いところにある常願寺川石工の影響を受けた石仏なのです。
影響というのは、本場の笠付円盤形石仏とは少し違っていて、また本尊(文殊菩薩)様のお顔もどの石工ともいえないため、常願寺川石工がここまで出張して製作した、とは断言できないからです。ここはもう少し掘り下げて調べないといけないですね。
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