常願寺川石工の村【善名村】
善名(ぜんな)村は、常願寺川中流左岸、南東に馬瀬口村が隣接する地にあります。
常願寺川石工村のうち、最も多くの石工を輩出した村でした。
江戸期には、観成・金山六三郎・北野甚蔵・中嶋栄蔵ほか3人の計7人、明治以降は西田実ほか4人が石造物の銘から確認できます。
ところが不思議なことに、安政6年の「新川郡諸商売取調理書上申帳」の石工職の名簿に善名村の石工は誰一人記載がありません。なぜでしょうね。
もっとも早く名前の見える観成は、宝篋印塔を専門に作る石工でした(宝篋印塔の話その2に登場)。その後の金山六三郎、北野甚蔵・中嶋栄蔵は、石仏が得意で、甚蔵・栄蔵は、立山信仰の里芦峅寺に関連する石仏を多く製作しました。
芦峅寺には栄蔵が請け負った石仏製作の費用を記載した古文書があり、記録に残らない職人の仕事の一端を垣間見られる貴重な資料といえます。
善名村(北から) 中央(煙)が善名下、その右上が善名上で、昔は上下村に分かれていた。
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