下呂石の話 その4
下呂石は、信州の黒曜石とならんで北陸に持ち込まれた石器製作用のブランド石だったわけですが、富山平野から離れるにつれ、使われた割合は段々と少なくなります。
神通峡の布尻遺跡付近までは石器の10%ほどと思われますが、ほかでは1%かそれ以下のようです。製作する遺跡も少なくなり、作った石器だけを持ち運ぶ、といったことで、だんだん影が薄くなるようです。
優秀な石なのですが、火山地帯である富山周辺にも豊富な石材があります。
能登には「真脇石」と呼ばれる、下呂石そっくりな石があり、化学分析をしないと見分けがつかないくらいの激似です。
そういうような石で同じ石器を作れるならば、あえて危険を冒して遠いところまで行く必要はないわけですね。
しかし、少ないながらも、矢じりがなくなる弥生時代まで(このころには武器にかわっていますが)、細々と下呂石が使われ続けました。下呂石を使うことに何か意味があったと思えます。
縄文人が下呂石を採集した乗政川
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