常願寺川石工牧喜右衛門の出自

何度か紹介しました常願寺川石工 牧喜右衛門は、石屋村に工房をもつ石工です。

喜右衛門の在銘品は、安政5(1858)年から見えはじめます。

安政5年は、飛越地震が発生し、立山カルデラの崩壊のため常願寺川が2度も土石流を起こした年です。

石屋村は常願寺川左岸中流にあり、洪水被害を受けた場所でした。

そのような地に喜右衛門はあえて工房を置きました。

それ以前はどこにいたのでしょうか。洪水以前からずっと石屋村にいたのでしょうか。

その手掛かりになる石仏があります。

富山市中大浦にある笠付円盤形石仏は、喜右衛門最初期のもので、飛越地震後に製作されました。犠牲者の慰霊のため建てられたのでしょうか。

この石仏にある石工銘には、「石工牧野喜右衛門」とありました。「野」の一字が多いのです。喜右衛門と同一人物ではないとも見方もできますが、仏様の容姿の特徴は喜右衛門そのものですから、牧喜右衛門で間違いありません。

「牧野」というのは姓ということになりますが、当時出生地や住んでいる村の名を苗字としたことも多くありました。中大浦の南1.5kmには牧野村があり、牧野東薬寺がありました。喜右衛門はこの牧野村出身であったとみられます。

中大浦にはかつて真言宗寺院福円寺がありました。石仏はその旧境内にひっそりとあります。喜右衛門は福円寺の信徒など関係があったのかもしれません。

旧福円寺前の「牧野喜右衛門」作 安政5年造立笠付円盤形石仏 

富山石文化研究所ブログ

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