常願寺川石工の村【石屋村】
石屋村は、その名のとおり、石工(石屋)がいたということに由来する村名です。
江戸後期には、これまで紹介した牧喜右衛門が知られます。
喜右衛門は、安政5年(1858)から石屋村に工房を持ちました。おそらく同年の飛越地震に伴い発生した常願寺川の土石流はん濫以後のことと思われます。それ以前の動向は前回お知らせしたとおりです。
喜右衛門の工房跡の場所はわかっており、ご子孫の牧家には当時の作りかけの石造物が多く残されています。
工房は、石屋村の本村集落からは少し常願寺川寄りに離れていました。
現在、ここから常願寺川までは2km以上離れており遠いのですが、当時土石流は左岸を中心に中流までかなり土砂を流しましたので、工房から近いところでも加工に適する大きさの石が入手できたのだと思われます。
ドローンで下流側から喜右衛門の工房跡を撮影してみました。
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