石工の共作【2人】 その1
石工が二人で共作する例は、以外とたくさんあります。
師弟、兄弟弟子が2人というのは考えやすい組み合わせですね。
単独の一体の石造物を二人で製作する形が多いですが、多くの数量の石造物を手分けして作るといった形もあります。
2つの例をご紹介します。
1つは、以前も触れました上市町 大岩山日石寺様の例です。
日石寺様は、平安末の大岩不動摩崖仏(国重文)や滝修行で有名です。先日は、北日本新聞に「奥の院行者窟」の記事が載りました。能登輪島市の信者の寄進で、明治期に行者窟や六本滝の整備が進んだというものです。
お寺様の参道入口、三重塔登り口付近には、岩場に縦長の浅い穴(「やぐら」とでも呼べばいいでしょうか)を横に連続して掘り、そこに石仏を安置してあります。
あまり気づかないで通り過ぎてしまうのですが、よくよく見ますと、六本滝の周りにもたくさん安置されていますし、行事窟の中も含めると、詳しく調べていませんが100体以上あるのではないでしょうか。
いずれも台座に〇番とあるので、四国八十八ヶ寺の本尊様を中心に、諸国の霊場の本尊様を集めていると思われます。これだけの数の石仏は、とても短期間でそろえることはできません。
この石仏群は、常願寺川石工の馬瀬口村中川甚右衛門と、もう一人上市石工平井庄右衛門の2人が手分けして製作したものです。台座に石工銘が彫られているものがあります。
今は本体と台座が一致しないものが多いのですが、二人の大きな違いは、庄右衛門の台座のみ砂岩であることです。本体の石仏は、ほとんど見分けがつかないのですが、お顔や手の大きさにわずかに違いがあります。甚右衛門の姿で全部作る、といった基本方針があったものと思われます。
日石寺入口のやぐらの石仏様たち
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