石工の修業
江戸時代の常願寺川石工は、修業の完了にあたって、一定のレベルに達したかどうかを図る尺度があったと考えています。
それは、常願寺川石工の基礎を築いた馬瀬口村石工中川甚右衛門が、光背に吉祥文「祥雲文」を彫り始めた、いわゆる「甚右衛門様式」の石仏を、若い石工が上手く彫ることができるかどうか、ということだったと思うのです。
石屋村石工牧喜右衛門は、最初期の石工銘のある石仏(富山市町村)を甚右衛門様式としています。
西番村の石工は、昭和に入っても甚右衛門様式を製作しましたが、これは古いものの複製の可能性もあります。
牧喜右衛門の彫った甚右衛門様式石仏
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