飛騨神岡 もしかしたら?

飛騨市神岡町殿の瑞岸寺の有峰より下山した石仏を拝見させていただいたとき、先代ご住職をされておられた都竹清隆様に巡り合いました。飛騨中世史の会を作られ、『飛騨の中世』に数々の研究成果を発表されておられます。富山のことにも詳しく、いろいろと教えていただいています。都竹様は、瑞岸寺の南方近くにある圓城寺のご住職をされており、そこをお訪ねしたところ、境内に写真のような石仏があり、足を止めてしまいました。

前に紹介した富山の笠付円盤型石仏に、とても良く似ているではありませんか!

笠の形が違いますが、円盤の中央には文珠菩薩様がおられました。そのお顔は、「石工がわからない」石仏のお顔に近いのです。また石は飛騨で採石できる柏原石です。祥雲文浮彫文様もあります。

ということは、越中富山石工による出張製作の最も遠いものかも?また文政11年(1828)というのも、ちと古すぎるのです。もうちょっと周辺の調査が必要になってきました。コロナの影響でなかなか行くことができません・・・・。

富山石文化研究所ブログ

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