珍しいご住職の墓石

真言宗のお寺様のご住職の墓石についてお話します。

一般にご住職や僧籍にある方のお墓は、てっぺんの丸い円柱形をしており、「無縫塔(むほうとう)」と呼ばれています。縫い目がないということを意味する名称ですが、深い意味があるのでしょう。中世には刻銘などなく、まるで卵のような形でしたので、「卵塔(らんとう)」と呼びました。江戸以降は、だんだん縦長となっていき、てっぺんに突起が付いたりします。

富山地域の真言宗のお寺様では、江戸時代後期、その伝統と異なるご住職の墓石が流行しました。それは、仏様の形を丸彫りした、まるで石仏と同じ形の墓石です。難しくいうと、「丸彫石仏形墓石(まるぼりせきぶつがたぼせき)」です。

仏様のお姿は、「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」様です。弥勒菩薩様は、お釈迦様が亡くなって56億7000万年後に登場し、仏となって人々を救済する予定のある、現在修行中のお方です。なので、未来仏などとも呼ばれます。飛鳥時代の京都広隆寺などの優美な半跏思惟像(はんかしゆいぞう)がよく知られていますね。

なぜ弥勒菩薩様かというと、死後天上に導いてくださる約束をしていただけるからです。弥勒菩薩様と赤い糸を結び命を終えるという儀式が流行していました。

僧籍にあるかたも、弥勒菩薩様と約束し、天上に生まれ変わりたいという気持ちが強かったのですね。

富山市月岡龍高寺のご住職のお墓2つには、弥勒菩薩様のお姿のものがあります。いずれも馬瀬口村甚右衛門の作で、五智宝冠(ごちほうかん)を被り、五輪塔(ごりんとう 宝塔)を腹の上で両手で持ちます。柔和なお顔には、ほれぼれします。

甚右衛門の作は、富山市八尾町西町宝憧寺様(金毘羅堂)墓地にもありました。基礎の一部の天女像が絶品です(紹介したと思います)。

その後、神通峡の有力檀家の方々にもこの弥勒菩薩様形の墓石が流行しました。甚右衛門と浅吉の影響が強いと思われます。

龍高寺様(1830年ころ)

龍高寺様(1844年ころ)

八尾宝憧寺様(1830年ころ)

富山石文化研究所ブログ

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