常願寺川石工の村【馬瀬口村】

常願寺川石工は、常願寺川の河川敷に無尽蔵(むじんぞう)にある安山岩(あんざんがん)の玉石を拾い、工房に運んで加工しました。

江戸後期、河川の左岸側には、多くの石工村が存在しました。14村に33人の名を確認しています。

なかでも馬瀬口村(現富山市馬瀬口)は、中川甚右衛門、浅右衛門、浅吉、宗八など優秀な石工を多数輩出しました。なかでも甚右衛門は、積極的に創造工夫する石工で、常願寺川石工の伝統を築いた石工です。

村は現在、常願寺川から700m近く離れていますが、江戸時代にはもっと村近くまで河川敷が及んでいたと思われます。またこの辺りは、富山町中へ流れる鼬川(いたちがわ)の分流点であり、戦国期に富山城主佐々成政が治水に力を入れ、佐々堤を築いたとの伝承も残る地です。

その立地を写真や、YouTube動画をご覧ください。

           https://youtu.be/8UV8jpUnQQ8

富山石文化研究所ブログ

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