六地蔵様のこと その2
前回は1体ずつ彫られた六地蔵様を紹介しました。
立山町芦峅寺の布橋(ぬのばし)の東詰、村の共同墓地の一角に、大きな石に並べて浮彫した六地蔵様がおられます。大岩不動尊のような「摩崖仏」に区分してもいいかもしれません。
この六地蔵様は、様式も古く、お顔も素朴なものでしたから、これまで中世から江戸初期頃のものと考えられてきました。
先ごろ調査したところ、「弘化元年」の刻銘を発見し、幕末頃のものであることがわかりました。西暦1844年、今から176年前のものです。新しいからといって、価値が下がる、といったことはありません。むしろ布橋・布橋灌頂会(かんじょうえ)との関連が強くなったともいえます。
布橋は、立山に登ることを禁じられた女人が、此岸(しがん この世 出発点は閻魔堂)から彼岸(ひがん あの世 到着点は旧姥堂、今は遥望館)へわたる架け橋でした。この彼岸側の起点、布橋を渡った先、彼岸側に置かれていますので、渡りきることに意味があるのです。
立山博物館に行かれた際には、ぜひご参拝ください。
1枚目の写真は、酒井靖春様から提供していただきました。布橋との位置関係がよくわかりますね。
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