六地蔵様のこと その1
昨日は秋分の碑で、お彼岸の中日でした。多くの方が墓参に行かれたことでしょう。私も妻と両家などの墓参に行ってきました。仏様(先祖や故人)の供養をすることで、迷い・煩悩の世界に生きる私たちが彼岸(悟りの世界)に行くことができるといいます。
さて、古い墓地などに行くと、入口に六体のお地蔵様が並んでおられるのを目にします。いわゆる「六地蔵(ろくじぞう)」様と言われるものです。先にご紹介したように、お寺の境内入口にあるものや、村々の辻、今はなくなりましたが村々にかつてあった火葬場にも置かれていました。
六地蔵様の詳しい説明はWikipediaをみていただくこととして、いろいろなお姿の六地蔵様を紹介します。
上の写真は、富山市月岡の真言宗龍高寺様の門前の六地蔵様です。東猪谷宝樹寺様の文化年間六地蔵様と同様、丸彫の立ち姿です。
上の写真は、富山市上栄の道端の六地蔵様です。ここは元「陀羅尼寺(だらにじ)」という地名でしたが、現在町名に変更されました。「陀羅尼」というありがたいお経の名前で、古くに陀羅尼寺というお寺があった名残と思います。由緒ある古い地名が消えたのは本当に残念ですね。富山弁の「だら」が入るので、嫌われたのでしょうか?
これは舟形光背のある形です。お寺か墓地の近くにあったものが移されたのでしょう。
上の写真は、富山市西番の市営墓地のはずれにある六地蔵様の集団(?)です。いくつかのセットがわけもわからずここにまとめられてしまったのです。20体あるので、4組以上があったのでしょう。いすれも舟形光背(ふながたこうはい)の六地蔵様です。
このうち一組は、常願寺川石工、善名村金山六三郎の作です。幕末から明治前期頃のものです。
江戸時代には、村から離れた川近くが共同墓地や火葬地になっていた歴史を示す、貴重な資料ともいえますね。
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