石工がわからない石仏石碑 その1

石造物のほとんどは、石工銘がありません。一般的には石工銘がないのが当たり前で、これまで紹介したような石工銘を彫るのは、石造物のごく一部です。石工銘はみあたらないといって石工がいなかったわけではなく、生活必需品などたくさんの石造物の需要がありましたから、村々にはたいがい石工がいたようです。もちろん石材産地周辺には石工が集中しました。

これまで石工の資料を集積してきた中で、石仏の仏様のお顔は、石工毎に特徴があり、石工銘がなくてもどの石工の作かわかることが多いです。

これまで紹介したように、神通峡には、在地の石工のほか、常願寺川石工・富山町石工が出張製作していたので、多数の石工が関わっていました。

その中で、立派な石造物なのに、残念ながら石工が特定できない石仏石塔があります。

一つは、東猪谷の浄土宗宝樹寺境内の名号塔です。石塔の左側にある六字名号「南無阿弥陀仏」は独特の字体で、念仏行者徳本様による書です。徳本行者は、文化13年(1816)飛騨から富山に入り、川向かいの片掛に立ち寄られました。その時配布された名号札の文字を写し、その8か月後に造塔氏された記念碑です。

名号の右側にある阿弥陀如来様には天蓋(てんがい)があり、蓮華座の下には龍文の浮彫があります。これまで見たどの石工とも少し異なり、飛騨横山にある墓石・石仏とも似ているような気がします。とはいえ、富山町石工・常願寺川石工の伝統的な祥雲文・波涛文・龍文を使っているので、そのうちの一人なのでしょう。素晴らしい彫り方からみて富山町石工佐伯伝右衛門と推定しますが、伝右衛門の確実な仏様はわかっていないので、比較できる尊顔がなく決め手に欠けます。さあ、誰の力作なのでしょうね?

富山石文化研究所ブログ

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