出張石工の話 その8
立山町芦峅寺は、立山信仰の山麓拠点だったことから、たくさんの石仏や石碑などがあります。
あの世とこの世の境に擬せられた「布橋」の手前にある閻魔堂(えんまどう)境内や、そこから布橋へ向かう明念坂(みょうねんさか)にも、たくさんの石仏などがあります。これはいずれ紹介したいと思います。
ここは常願寺川に接し、布橋が架けられた「女+畾(ウバ 文字がありません)川」から安山岩が算出しますので、付近にの石造物はほとんどが安山岩製です。
明念坂の一角に、安山岩ではない砂岩製の宝篋印塔の一部がひっそりとおいてありました。
この石は神通峡産の猪谷石で、宝篋印塔の一番上の相輪(そうりん 宝珠・九輪のあるところ)部分です。その特徴は、前回紹介した寺家帝龍寺様の宝篋印塔の同じ部分とそっくりです。
明念坂付近のどこかに、神通峡に移転後の浅吉が、安政頃に製作した宝篋印塔があったことになりますが、残念ながら他の部材がなくなったようなので、どのような経緯でここに安置されるようになったかまではわかりません。神通峡の信仰者は浅吉に頼んだか、浅吉自身が造立したか?
こんな感じで、石工の後を追っています。
写真は、立山町芦峅寺閻魔堂明念坂の宝篋印塔相輪。浅吉作。
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