出張石工の話 その6
馬瀬口村浅吉のその後の話です。
飛騨横山の後関を製作した後、浅吉は布尻村(現富山市布尻 神通峡右岸)に工房を移転しました。そして布尻村浅吉として以後活躍しました。「石屋浅吉」(石屋は石工の別称ではなく、苗字です)とも名乗り、神通川の「通」の字を花押(かおう 一字で書くサイン)にしていました。花押をもつ石工は珍しいと思います。
石仏や墓石のほか、神社の旗竿(はたざお)石や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を製作しました。浮彫装飾のあるものはだいたい浅吉の作のようです。
布尻の工房はどこにあったか不明ですが、布尻神社観音堂のお世話をしておられた郷土史家のかた(故人)は、神社と神通川の間にあったとおっしゃられました。
上の写真は、布尻共同墓地にある浅吉作の墓石。石工銘に花押があります。
上の写真は、墓石に彫られた浅吉の石工銘です。浅は旧字体です。一番下の亀のような記号が花押「通」です。
0コメント