出張石工の話 その3
神通峡地域に常願寺川石工が出張製作しはじめたのは、江戸後期の文化年間からのようです。
最初の石工は、善名(ぜんな)村清三郎でした。清三郎は、東猪谷の浄土宗宝樹寺の六地蔵(文化13年 1816)を製作しました。
6体の地蔵様はいずれも、この付近の山から産出する砂岩(「猪谷石」)を使って作られています。
それぞれ部品に分かれるので、この付近の原石をもらい受け、善名村で製作して運び届けることもないことはないでしょうが、私が石工だったら、出張したほうが何かと儲かるし、物見遊山もかねて出かけたいと思います。
清三郎の石工銘は、以後この地域でも常願寺川流域でも見当たりません。彼の行方はどうなったのでしょうね。
写真は、清三郎が彫った東猪谷宝樹寺境内の六地蔵
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