出張石工の話 その2

江戸時代、石工が作る石仏などは、工房からだいたい2里(8km)の範囲内から受注していました。人気が高い石工、例えば常願寺川石工甚右衛門などは、25キロも離れた地(とくに呉西地区)から受注した実績があります。

常願寺川石工はとくに、神通川の上流、神通峡に多く出張製作した痕跡が見えます。

神通峡周辺にももちろん石工はいたはずで、飛騨街道沿いにある素朴な道祖神が有名ですが、それらは神通峡周辺の石工(「神通川石工」とよぶことにします)が作りました。

江戸時代、複数いたと思われる神通川石工は、石工銘を残しませんでした。

そのような地域に、常願寺川石工のうち、馬瀬口(ませぐち)村・善名(ぜんな)村の石工らが、出張製作により訪れることになりました。彼らは、在地での伝統どおり、自分たちの石工銘を残したことで、その足跡を追うことができたのです。

写真は、名もなき旧飛騨街道ぞいの夫婦の道祖神(双体道祖神)

富山石文化研究所ブログ

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