立山町池田城にて(1)

一昨日、能登で巨大地震がありました。被災された皆様お見舞い申し上げます。

その日の午前中、池田城に行ってきました。

本丸からのびるいくつかの尾根の一つは、釜池の西側を通ります。

この尾根を下りきったところは、かつて水田がつくられていたようですが、その中に一段高い平坦面がありました。

そこには写真のような結構大きな石。この石の側面には、先の丸い工具の跡と、石ノミではつった跡らしきものが。

安山岩の自然石を加工したものです。広い一面は表面がはがれ落ちていました。

このあたりは凝灰岩の産地なので、この石は他の場所からもってきたものです。


真っ先に思い出したのは、富山市西新庄にある「薄地蔵(すすきじぞう)」と呼ばれている板碑形の供養塔です。以前調査したもので、戦国時代末のものです。これは次回紹介します。

これが同じころの供養塔としたら、池田城とのかかわりが浮上してくるとともに、山麓の当時の様子も詳しく調べる必要があると思いました。

発見した石と工具の跡


富山石文化研究所ブログ

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