江戸石工 鱸猛麟

表題、読めますか?

「すずき・もうりん」とよみます。

江戸南青山に今でも存在する石材店です。

もとの姓が鈴木で、それに掛けています。

初代鈴木兼吉が1875年「石兼」の名で開業し、腕を見込んだ赤坂九条家により「猛麟」の屋号を賜ったといいます。

呉羽山山頂にある明治天皇野点所跡には、明治42年10月に明治天皇が来られた記念に、①「皇儲駐駕處」の石柱(同年)、②昭和33年昭和天皇の「立山の歌(御歌)」碑、その説明看板があります。

説明板によればこのほか「登呉羽山」の詩碑があったそうです。どこかに書いてあったようで、手元の記録には「明治44年東宮巡遊記念碑 石工鱸猛麟」とありました。未確認とあるので、たぶん現地にはもう無いようです。 

よくよくみると、時をへた②の石碑は、同じ青山の「石勝」。鱸猛麟同様青山墓地の主な石屋ですが、こちらのほうが歴史が古いようです。

「登呉羽山」の詩碑、今どこにあるのでしょう?

富山石文化研究所ブログ

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