矢穴の比較
富山市下大久保地内には、畑の中にポツンと大きな石が1つあり、この石に矢穴がたくさんありました。
神通川の河岸段丘の上なので、なぜ石1つだけあるのか不思議ですが、近くには石室のある古墳などがあり、もしかしたら古墳が壊され、石室の石を持って来た、あるいはここにあった古墳がこわされたのかもしれません。
いずれにせよ、後の時代に、この石を見つけた石工さんが、手ごろな石があったわい、ということで、石を割り始めたようです。
矢穴の間をノミで取り除き、溝状にしています。富山城にも1石だけ似た方法の矢穴がありましたが、富山城と違うのは、個々の矢穴の形です。富山城が厚みのある台形なのに対し、下大久保のものは薄い三角形です。いつものとおり、100円ショップの紙粘土で型取りして比較してみました。(写真がピンボケですみません)
石にはいくつもの矢穴列が並び、何回も割り出しているようです。板状の石をたくさん取ったようです。
残念ながら割り取った時代が、富山城より古いのか、新しいのか、わかっていません。
左:富山城の矢穴(江戸初期) 右:下大久保の矢穴
下大久保の矢穴
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