矢穴の比較

富山市下大久保地内には、畑の中にポツンと大きな石が1つあり、この石に矢穴がたくさんありました。

神通川の河岸段丘の上なので、なぜ石1つだけあるのか不思議ですが、近くには石室のある古墳などがあり、もしかしたら古墳が壊され、石室の石を持って来た、あるいはここにあった古墳がこわされたのかもしれません。

いずれにせよ、後の時代に、この石を見つけた石工さんが、手ごろな石があったわい、ということで、石を割り始めたようです。

矢穴の間をノミで取り除き、溝状にしています。富山城にも1石だけ似た方法の矢穴がありましたが、富山城と違うのは、個々の矢穴の形です。富山城が厚みのある台形なのに対し、下大久保のものは薄い三角形です。いつものとおり、100円ショップの紙粘土で型取りして比較してみました。(写真がピンボケですみません)

石にはいくつもの矢穴列が並び、何回も割り出しているようです。板状の石をたくさん取ったようです。

残念ながら割り取った時代が、富山城より古いのか、新しいのか、わかっていません。

左:富山城の矢穴(江戸初期) 右:下大久保の矢穴


下大久保の矢穴

富山石文化研究所ブログ

富山の石文化について、最新情報や自分目線の解説を紹介します。 詳細はこちらへどうぞ   公式ホームページ http://tscl.jp/  YouTube  https://www.youtube.com/channel/UCCAxn9KGaCoF5RqXlqlD2nw

0コメント

  • 1000 / 1000