明治時代の矢穴

常願寺川の上流に、明治39年の石碑(日露戦争の戦没碑)がありました。

花崗岩製で、常願寺川の石だと思われます。

この石碑の横に、矢穴の跡がたくさん残っていました。

まだ機械がない頃なので、江戸時代の方法と同じです。

ただ、矢穴の大きさが一回り小さく、割り難い石なのか、矢穴の間隔が密なことが江戸時代とちがっています。

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