飛騨と富山を考える本 その3
続きです。
下呂石は、そういうことで、不本意な結果に終わったのですが、石工の話は進展がありました。
前回ご紹介しなかったこととして、大正期富山市石工の桑原亀太郎が、飛騨宮川の桑野というところに仙台石の追悼碑を作っています。『宮川村史』にも掲載されています。
続いての昭和初期には、富山市石工の田中仲太郎が、飛騨宮川の杉原や宮保の狛犬や燈籠を作りました。銘はないのですが、飛騨にない独特な造りのためわかったのです。
富山市の石工はおもに宮川沿い、常願寺川石工や八尾石工はおもに高原川沿いで活躍したようですね。
富山の石工は、飛騨北部にまで入り込んで、販路を拡大していったことがわかりました。
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