石はどこから?⑦ 早月川 その2

早月川上流左岸の上市町蓬沢の河川敷には、花崗岩川原石を割った石切場がありました。

川原の跡に残された数メートルの巨石を細かく割って、石垣石材を産出していました。

昭和40年代まで作業が行われていたようで、大阪万博の会場にも使用されたといいます。

30から40㎝の間知石(けんちいし)という、四角錐状の石で、控え(奥行き)が城郭石垣の半分ほどの短いものです。

石切場には、途中まで割った巨石や、完成した間知石が方々に残っています。

石には矢穴跡が残っており、矢穴を彫って、鉄製クサビを入れて割る「矢穴割り」技法によって手作業で割っていたことがわかります。矢穴の大きさは、富山城石垣の矢穴の半分くらいで、明治以降の年代です。矢穴数は、一辺に1個か2個と少ないものです。

残念ながらこの石切場は、富山城の石垣石材を採石した江戸時代の石切丁場ではないようです。当時はもっと下流でも大きな石材が得られたと思われるので、運搬に適した中~下流に丁場があったと考えられます。

早月川左岸 上市町蓬沢の石切場跡

集積された間知石

間知石の矢穴痕

富山石文化研究所ブログ

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