立山山麓の近世石造物【甚蔵】その3
芦峅寺の阿字観碑にかかわってもう一つ。
閻魔堂から布橋に向かう明念坂の途中の山側に、四角い石柱があります。
「巡礼塔」と呼ばれるもので、この塔の奉納者は、四国・西国・秩父・坂東と当国(越中)の霊場を計221か所以上も歩いて巡礼されたのです。大変な数ですね。その方は、芦峅寺教覚坊の僧教応和尚と想太夫のお二人でした。教応和尚は、閻魔堂境内阿弥陀三尊様の再建者の最初に名前が見える僧名であり、この塔はその続きものとして巡礼が完了した天保4年(1833)に建てられたものだとわかります。
この塔には石工銘はありません。手がかりは裏面の「ア」字の部分です。これは阿字観碑の意味もあります。
この「ア」字の部分ですが、龍淵上人の建てられた阿字観碑の「ア」字とまったく同じなのですね。いわゆる「流用」というものです。塔の幅の収まらなかったので、左右は切れています。4年前に建てられた龍淵上人のありがたい阿字観碑にあやかって、同じ型で彫ったのでしょうね。
ということで、この巡礼塔を作った石工は、甚蔵と思われます。
芦峅寺明念坂の巡礼塔(天保4年)
裏の「ア」字
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