立山山麓の近世石造物【甚蔵】

自分の腕が未熟と嘆いた詩を彫った異色の石工 善名村の北野甚蔵(⇒2020年9月5日石工は知識人)は、芦峅寺にその足跡を見ることができます。

甚蔵は当初芦峅寺を中心に活動しました。甚右衛門とほぼ同じ文化年間、信徒の墓石を手掛けるうち、芦峅寺の顧問をしていた真言僧龍淵(りゅうえん)上人から依頼された石碑や手水鉢などを作るようになりました。

これまで確認した甚蔵の刻銘品・推定品41体のうち、6割にあたる25体が芦峅寺にあります。その多くが龍淵上人にかかわるもの、信徒の墓石でした。

石仏の本尊様は、口をやや尖らした独特のお顔で、閻魔堂横にある石仏群の上段中央にある聖観音菩薩様は、光背に祥雲文を浮彫した甚右衛門様式で、台座は勾欄(こうらん)のある須弥壇(しゅみだん)形の豪華なものです。甚蔵の初期の代表作といえます。

これだけの手腕があるのに嘆くとは・・・

芦峅寺閻魔堂横の聖観音菩薩様

富山石文化研究所ブログ

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