神通川熊野川合流点の石碑 続報

前々回紹介した石碑の続報です。

富山市郷土博物館に尋ねたところ、資料を提供いただきました。それは、石碑から180m北西にある布瀬町の松尾神社境内に、文字を刻んだ石碑があり、それに刻まれた文章についての資料でした。

松尾神社の境内の石碑は、早月川花崗岩の板状の石で、富山県が明治29年に行った布瀬堤防改修工事の経過を記したものです。明治30年9月に建てられました。

碑文の冒頭には、「枢密顧問官 従二位勲一等伯爵勝安房」の題辞であること、竣功巨石鱗塁石~とあります。勝安房とは、あの有名な勝海舟のことです。勝海舟から石碑の揮毫をしてもらったというのです。記録の中味は正確なので、事実を書いていることは間違いありません。このとき海舟はまだ生きていますので、揮毫も事実と思われます。

どなたか筆跡で鑑定できる方はおられませんでしょうか?

いろいろ記録を調べましたが、当時はたびたびの洪水被害で疲弊したご時世であり、またその後に行われる馳越工事(直線化工事)が世間の話題のメインでしたから、これを触れた記録があまり見当たりません。当時の新聞も探していますが、洪水被害記事は多き見つかるも、まだ工事竣工記事は見つかっていません。

また碑文の「鱗塁石」のくだりはどう読むのかわかりませんが、堤防の石碑の石は、神通川上流神通峡の安山岩(岩石学的には安山岩質溶岩)で、見た目はボツボツで、鱗に見えなくもない。塁とは防ぐ土手という意味ですから、石に名前をつけるとすると、鱗塁石が適任です。

とうことで、堤防の石碑が、勝海舟が揮毫した「鱗塁石」で、その副碑が松尾神社にある石碑。いつか二つは離れ離れになってしまった、というストーリーです。

いかが?



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