明治の石垣 その3

高岡新報の記者井上江花は、約110年前の明治43年から44年にかけて、富山市街地周辺の様子を、数多く写真に残しました。その大半は勝山敏一さん著『明治・行き当たりレンズ』(桂書房 2015年刊)に紹介されています。

この中で、富山市鹿島町の江花自宅の基壇が石積みとなっている写真が紹介されています。

石垣と基壇はやや違いますが、これまで紹介した石垣と同じ、矢羽根積みとなっています。

ずれたりしているところは補修などがされたところでしょうか。

民家では塀だけでなく、建物の基礎部分をかさ上げして建築し、基礎周りは石垣(石積み

といった方がよいですね)としていたことがわかる、貴重な写真といえます。

たぶん神通川石だったのでしょう。階段も大きな川原石を使っています。

高岡新報新聞記者 井上江花自宅(富山市鹿島町)の家の基壇 

明治43年頃 『明治・行き当たりレンズ』より(勝山様承認済)


富山石文化研究所ブログ

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