飛騨の石工

飛騨市神岡町東茂住は、前回書いたように、富山の石工の吹き溜まり地域でした。富山に近いことがその理由でしょうが、では飛騨石工はここに関わっていなかったのでしょうか。

神明神社の拝殿の国道側には、かつてあった茂住宗貞の屋敷跡の石垣残存部があり、その上に小燈籠が一つ置かれています。竿が撥形で、富山の神前形燈籠とよく似ています。

文久3年(1863)「石工 正平」の安山岩製品です。

てっきり富山の石工かと思っていましたが、飛騨の石工の一人に「宛木正平」がおり、この人物に該当すると思われます。宛木姓の石工は神岡町船津出身と推定されます。

燈籠の寄進者は、幕末から明治初期に東茂住の銀山惣代を勤めた片掛屋九兵衛です。屋号から九兵衛は、神通峡の片掛村出身者だったようです。正平に依頼して富山型の燈籠を選んだのは、九兵衛の意図だったのか、正平が富山で修業した石工だったのか、謎です。

東茂住の石工正平の燈籠(文久3年)


東茂住のドローン動画をご覧ください。 https://youtu.be/K0NNYCRAVtY

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